人生の目的は「歓喜」にある
唐突ですが、私が人生の目的としている言葉があります。 それは「歓喜」です。
美術館で彫刻の前に立った時、あるいはコンサートホールで音楽に没入した時。 言葉や理屈を超えて、魂が震えるような感覚に襲われる瞬間があります。 あの純粋な喜び、生きているという確かな実感。それこそが、私たちが生きる意味そのものではないか、という死生観を私は持っています。
しかし、ふとビジネスの現場に目を戻すと、そこには対照的な光景が広がっています。
成功した経営者の瞳が、なぜ乾いているのか
仕事柄、多くの経営者の方とお会いします。 中には、全身から「歓喜」があふれ出ているような、圧倒的なエネルギーを持った方もいらっしゃいます。お会いするだけでこちらまで力が湧いてくるような、素晴らしい経営者の方々です。
しかしその一方で、特に50代を迎え、創業期を乗り越えて経営が安定期に入った社長とお話ししていると、ふとある種の「乾き」を感じることがあるのです。
会社の数字は順調です。社員も増え、社会的信用も得ている。 それなのに、社長ご自身の瞳の奥が、どこか冷めている。
「会社を成長させなければならない」 「社員の雇用を守らなければならない」
口から出るのは、「義務」や「責任」という言葉ばかり。 かつて持っていたはずの熱源が分厚い論理の殻に覆われ、経営そのものが「こなすべきタスク」になってしまっているように見えます。
社長の心が震えていない組織の限界
「うちの社員には主体性がない」「もっとワクワク働いてほしい」 そう嘆く経営者は多いですが、これはある意味で無理な注文ではないでしょうか。
組織において、感情は上から下へと伝播します。 トップが「義務感」で眉間に皺を寄せてハンドルを握っているバスに乗って、乗客である社員が心から楽しんだり、ワクワクしたりすることは不可能です。
社長自身が感動していないのに、顧客を感動させることはできません。 社長自身が仕事に歓喜していないのに、社員に「仕事を楽しめ」と言うのは、矛盾したメッセージとして現場に届いてしまいます。
閉塞感のある組織の原因は、市場環境や社員の能力ではなく、実は「社長の心の不感症」にあるのかもしれません。
「歓喜」こそが、次のビジョンの源泉になる
もちろん、経営には冷徹な論理や数字の管理が不可欠です。 しかし、それだけでは人は動きませんし、次の時代を切り拓くイノベーションも生まれません。
まずは社長ご自身が、ご自身の感性を取り戻すこと。 誰のためでもなく、社長自身が心から「楽しい」「美しい」「やりたい」と震えるものに触れること。
論理の殻を破り、「歓喜」を取り戻してください。 そこから湧き上がる純粋なエネルギーこそが、論理を超えた説得力を持ち、次の10年を牽引する真のビジョンになると私は信じています。