
私には、ずっと尊敬してやまない芸術家がいる。岡本太郎だ。
単に同じ「岡本」という苗字だから、というだけではない。「縄文」「沖縄」「芸術」——。私自身が強く惹かれるこれらのキーワードは、すべて彼に繋がっている。
今回、ついに大阪の万博記念公園を訪れ、あの「太陽の塔」の内部を体験してきた。 そして、この大阪という街で、私は人々の圧倒的なパワーと、岡本太郎が求めた「歓喜」のエネルギーを感じた。もしかしたら、この街の真ん中に「太陽の塔」が今も立ち続けていることと、無関係ではないのかもしれない。
これは、岡本太郎という巨人の内面を覗くと同時に、私自身のルーツや価値観を再確認するような旅でもあった。
圧巻の存在感。公園にそびえ立つ「生命」
万博記念公園のゲートをくぐると、まず目に飛び込んでくる、あまりにも有名なその姿。

現在を見つめる中央の「太陽の顔」、未来を象徴する頂部の「黄金の顔」。その圧倒的な存在感に、ただただ息をのむ。
ぐるりと背面に回れば、そこには過去を象徴する「黒い太陽」が静かに描かれていた。
そして、日が落ちてから見た塔は、また別の表情を見せた。緑色にライトアップされた姿は、昼間とは違う妖艶さ、まるで太古からそこに立つ生き物のような気配さえ感じさせた。

ハイライト。ついに足を踏み入れた「塔の内部」
今回の旅の最大の目的は、この塔の「内部」に入ることだった。 予約の時間になり、厳かな気持ちで足を踏み入れると、そこは外観からは想像もつかない異空間だった。
まず「地底の太陽」と呼ばれる巨大なオブジェと、壁面を埋め尽くす仮面群に迎えられる。 そして、目の前には——天に向かって伸びる巨大な「生命の樹」がそびえ立っていた。

アメーバなどの原生生物から始まり、魚類、両生類、恐竜、そして人類へと至る「生命の進化」の過程が、立体的なオブジェで表現されている。
赤く明滅する照明と、荘厳な音楽「生命の讃歌」。それはまるで岡本太郎の精神世界、あるいは地球の胎内に迷い込んだかのような、強烈な体験だった。
私と岡本太郎を繋ぐ「言葉」と「魂」
「なぜ私は、これほどまでに岡本太郎に惹かれるのか?」 この「生命の樹」を見上げながら、その答えがはっきりと見えた気がした。
私は、岡本太郎の発する「言葉」が大好きだ。
彼は、それまで考古学の対象でしかなかった縄文土器を見て、「なんだこれは!」と衝撃を受け、そこに日本文化の源流となる荒々しいエネルギーを見出した「縄文」の発見者だ。 「生命の樹」に連なる生物たちの、整いすぎていない、生々しい造形に、まさにその「縄文の精神」を感じた。
また、彼は近代化の中で失われつつあった日本古来の姿を「沖縄」に見出し、その土着の文化や祭祀に深く傾倒した。 かつて沖縄返還の際、彼はこう語った。
「沖縄が本土に復帰するのではない。本土が沖縄に復帰するのだ」
経済発展の中で本土が忘れてしまった「日本人の本当の精神性」や「純粋な生命力」が、沖縄にはまだ生きている。だからこそ、私たち本土の人間こそが沖縄の精神(こころ)に還らなければならない——。 「太陽の塔」が放つ理屈抜きの迫力は、まさにその沖縄にも通じる、土着の「祈り」や「呪術性」を帯びているように思えた。
多才すぎる彼は「あなたは何者か」と問われ、「人間だ」と答えた。 画家でも彫刻家でもない、ただ「人間」として、全身全霊で生きることを宣言したのだ。 そして、「平凡な幸せよりも、歓喜が必要だ」とも語った。
彼の言う「芸術」とは、まさにその「生き様」そのものなのだろう。「太陽の塔」は、私たちに安らぎや「幸せ」を与えるのではない。「お前は生きているか!」「歓喜に満ちた瞬間を生きているか!」と、強烈な問いを突きつけてくる。 だからこそ、私は彼の作品と言葉に強く惹かれるのだ。
万博記念公園という「アートの森」
公園内には、岡本太郎作品以外にも、当時の熱狂を伝えるアートが点在していた。
カナダから贈られたという色鮮やかな「トーテムポール」。

そして、忘れてはならないのがイサム・ノグチの作品群だ。

これは「月の世界」という作品。かつては水が流れ落ちる噴水彫刻だったそうだ。 さらに「夢の池」には、「宇宙空間の夢」をテーマにした「彗星」「王冠(コロナ)」などの噴水群も残されている。
イサム・ノグチといえば、私が最も尊敬する彫刻家・安田侃(やすだ かん)さんが、イタリアのピエトラサンタで親交を深めていたいわば師匠でもある。 安田侃さんの作品に通じる、静謐でありながら圧倒的な空間の支配力。その源流にあるイサム・ノグチの魂が、岡本太郎の「動」のエネルギーと同じ空間に共存している奇跡。 1970年という時代が持っていた熱量と、脈々と受け継がれる芸術の系譜に、改めて胸が熱くなった。
魂を揺さぶる「爆発」との対面
「太陽の塔」への訪問は、単なる観光ではなかった。 それは、岡本太郎というフィルターを通して、自分の中にある「縄文」「沖縄」「芸術」への憧れと、彼が放つ「言葉」の力を再確認する旅だった。
「芸術は爆発だ」——。 そのエネルギーを全身で浴び、明日への活力をもらった、忘れられない体験となった。