「正解」を出す力は、もはやコモディティか。
私は現在、ある大学の監事(非常勤)を務めています。 直接学生と触れ合う立場ではありませんが、大学運営や教育カリキュラムの議論を通じて、あるいは社会全体の流れを見ていて、強く危惧していることがあります。
それは、日本の教育システムが依然として「正解を最短で導き出す能力」を過剰に評価しているのではないか、という点です。
いわゆる「偏差値が高い」とされる学生は、与えられた枠組みの中で、効率よく正解に辿り着く訓練を受けてきました。もちろん、それは素晴らしい基礎能力です。 しかし、ここ数年の生成AIの爆発的な進化を目の当たりにした時、その価値は相対的に、そして急速に低下していると言わざるをえません。
「正解を出す」「処理を最適化する」ことにかけて、人間はもはやAIには勝てないからです。 今、大学が、そして社会が育てなければならないのは、答えを出す優等生ではなく、「問い自体を疑える人材」ではないでしょうか。
企業が陥る「使いやすい人材」の罠
視点を大学から企業の採用現場に移してみましょう。
中堅企業の採用支援をしていると、経営者や人事担当者が無意識に「扱いやすい人材」を求めてしまう傾向を感じます。
言われたことを素直に実行する。
空気を読んで、波風を立てない。
事務処理能力が高い。
これらは、かつての高度経済成長期には「宝」でした。 しかし、変化の激しい現代において、組織全員がこのタイプで構成されていることは、むしろリスクになり得ます。 「正解」が誰にもわからない時代に、正解待ちの姿勢をとる社員ばかりでは、船は沈んでしまうからです。
これからの組織に必要なのは「野性」
これからの時代、持続的に成長する組織に必要なのは、ある種の「野性(やせい)」を持った人材だと私は考えます。
ここで言う「野性」とは、粗暴という意味ではありません。 飼い慣らされていない、自分の頭で考え、自分の足で立つ力のことです。
既存のルールに「なぜ?」と問いかけることができる。
前例のない状況でも、ひるまずに一歩を踏み出せる。
組織の空気を読むことよりも、目的の達成を優先できる。
彼らは時として、組織にとって「異物」に見えるかもしれません。上司からすれば、管理しにくい部下でしょう。 しかし、生物学的に見ても、均質化された集団は環境変化に弱く、異物を取り込める集団こそが生き残ります。
野性を殺さない制度設計を
もし御社が「優秀な若手が育たない」「閉塞感がある」と感じているなら、それは採用基準が「優等生」に偏りすぎているか、あるいはせっかく入った「野性」を、過度な管理で殺してしまっている可能性があります。
野性味あふれる人材は、窮屈な檻の中では呼吸ができません。 彼らがそのエネルギーを会社のために発揮できるような、一種の「出島」のような部署を作るのか、あるいは評価制度自体を見直すのか。
「使いやすい人材」ではなく、「会社を強くしてくれる人材」を採用し、活かす。 そんな採用戦略と制度設計への転換を、今こそ検討すべき時ではないでしょうか。